《战国鸟兽戏画~乙~》
誰もが知る歴史的な局面、何気ない日常など、様々な場面の戦国武将たちを動物に例えて描くアニメーション番組。
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第1话 鹤汁
とある宴会の席で家臣たちに豪勢に鶴の汁を振る舞う織田信長。酒に酔いすっかり気分が良くなった信長は、前田利家との古き良き思い出を語りだすのだが…。史実 / 前田利家が語ったとされる加賀藩の資料「亜相公御夜話(あしょうこうおんやわ)」に織田信長の寵愛を受けていた前田利家の話が記載されている。安土城で行われていた宴で、信長は利家との関係を匂わせる話をしたとされ、それを聞いた側近たちは利家を羨んだと言われている。その席で当時、貴重な料理だった「鶴の汁」を食べた前田利家は食あたりをおこしたとされ、その逸話が「鶴の汁」という話として記録されている。
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第2话 小田原之战
豊臣軍は北条氏政らが籠城する小田原城を包囲していたものの手をこまねいていた。そこで氏政を説得するために向かった黒田官兵衛と小早川隆景だったが…。史実 / 1589年(天正17年)11月24日に天下統一目前の、豊臣秀吉は北条征伐の軍令を諸将に発する。北条氏政の小田原城は難攻不落の城と言われており、氏政は籠城戦で、秀吉軍を迎え撃った。長期戦になることを考えた小早川隆景は、城攻めを休め、宴会を開くことを秀吉に進言。籠城する北条方の前で祭りのような騒ぎをおこしたと言われている。その後、使者として、黒田官兵衛を遣わせ、官兵衛の説得もあり、北条方は降伏。その後、氏政は切腹したとされている。
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第3话 肉瘤怪
慌てた様子の本多正信と本多忠勝に呼ばれた徳川家康。自分たちでは判断できない事態が起きたという彼らに連れて来られた先には確かに予想だにしない問題が起きていた…。史実 / 日本古来の妖怪とされている「ぬっぺふほふ」はのっぺらぼうの一種と見られている。随筆「一宵話」には、1609年、駿府城の中庭に、肉の塊のような肉人とでもいうべき者があらわれたと記載されている。当時、駿府城にいた徳川家康は家臣に外へ追い出すように命じたとされ、捕縛を諦めた家臣たちは城から追い出したと言われている。
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第4话 替身试镜
本格的な信濃への侵攻を始め、敵対する武将も多くなった武田信玄。いつ命を狙われても大丈夫なように身代わりとなる影武者を選出するオーディションを開催するのだが…。史実 / 武田信玄は死の直前に、自身の死を3年間隠すように遺言を残したとされている。信玄の死去の際に、弟の信綱が影武者を務めていたとされ、信玄の死を確認に訪れた北条氏の使者は、信綱の姿をみて、信玄は健在だと報告をしたと言われている。
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第5话 殿军
金ヶ崎の戦いで朝倉軍を後一歩のところまで追い込んだ織田信長。ところが、同盟を結んでいたはずの浅井長政に裏切られ、挟み撃ちされることになった織田軍は敗走することになるが…。史実 / 1570年、織田信長は朝倉義景と戦闘になるが、同盟関係にあった浅井家の裏切りにあり、撤退を余儀なくされる。金ヶ崎城で信長軍の撤退が始まり、殿(しんがり)を豊臣秀吉が務めたと言われている。
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第6话 第一次的香蕉
南蛮渡来の珍しい品を織田信長に献上するポルトガルの宣教師・ルイスフロイス。その中には「バナ〜ナ」という見たことも食べたこともない果物が混ざっていて…。史実 / 14世紀に日本に伝わったとされているバナナは、1569年にイエズス会のポルトガル宣教師ルイス・フロイスによって織田信長に献上されたという逸話が残っている。
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第7话 我是谁
豊臣秀吉は備中高松城攻略に手をこまねいていた。一方その頃、織田信長が茶会を開いていた本能寺周辺では明智光秀が何やら不穏な動きを見せていた。まったく状況の違う両者だったがあることをきっかけに…。史実 / 備中高松城の戦いの中、豊臣秀吉は毛利輝元率いるが接近しつつあったため、織田信長に援軍を要請。信長からは、明智光秀の軍を送るとの返事を得たが、備中高松城への水攻めを決行したとされている。その後、本能寺での明智光秀の裏切りを知った秀吉は京に向けて軍を移動させ、山崎の戦いで光秀を討ったとされている。
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第8话 被讨厌的人
前田利家が没した日。邪魔立てする者がいなくなったことで、加藤清正をはじめとする七将と呼ばれる武将たちは石田三成を狙って動き出す。刺客相手に必死で虚勢を張って抵抗する三成だったが…。史実 / 豊臣秀吉の死後、石田三成と確執があった七将(福島正則・加藤清正・池田輝政・細川忠興・浅野幸長・加藤嘉明・黒田長政)が襲撃。事前に情報を知っていた三成は、身を潜めこれを回避したとされている。その後、徳川家康の仲裁によってその場は収まるが、三成の失脚が決まり、これ以降家康が豊臣政権の実権を握ったと言われている。
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第9话 五大老
豊臣秀吉は自分亡き後も豊臣政権を守るため、徳川家康や前田利家など有力な大名たちを“五大老”として政務に当たらせた。しかし強すぎる個性は当然のごとく確執を生み、“五大老”はもう空中分解寸前だった。史実 / 豊臣秀吉は嫡男である豊臣秀頼が成人するまでの政治運営を有力大名5名と石田三成らの豊臣家吏僚による合議制をとるように指示したとされ、徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元の5名からなる五大老が制度かされたと言われている。前田利家の死後、前田利長が、その後を継いだ。
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第10话 岛津四兄弟
揃って馬追いにやってきた島津四兄弟。九州制覇を目指す四人は子供時代の思い出話をしながら、自分たちの進むべき道について盛り上がっていたが、家久だけは会話に乗り切れず…。史実 / 島津家15代当主島津貴久(しまづたかひさ)の四人の息子たちで、それぞれが優秀な武将として名を挙げている。兄弟の仲はよく、戦国時代では珍しく無い、兄弟による家督争いなどの騒動は起きていないとされ、それぞれが島津・薩摩ために尽力していた。
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第11话 谦信的传闻
八幡山の戦いで宿敵・武田軍の奇襲攻撃の裏をかくことに成功した上杉謙信。すっかり上機嫌な謙信とその家臣たちはささやかな宴を開いていたが、謙信が厠に立った隙に、家臣たちは前から気になっていたとある噂話で盛り上がり…。史実 / 軍神とも言われた上杉謙信にまつわる伝説・逸話は多く残っいる。生涯独身で側室がいた形跡もないことや、女性的な嗜好を持っていたと言われることから、「謙信は女性だった」という説も唱えられている。
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第12话 女城主
家督を継承するべき者たちが次々と亡くなり、伊井家の家臣たちは頭を抱えていた。そこで女性でありながら白羽の矢が立ったのは次郎法師。様々な理由をつけて断ろうとする次郎法師だったが、家臣たちの意思は固く…。史実 / 井伊家存続の危機に南渓和尚は出家をしていた井伊家の娘・次郎法師を井伊家の当主、井伊直虎として立てたとされている。その後、直虎と南渓和尚は、井伊家再興のため尽力し、後に徳川四天王の一人として数えられる井伊の礎を築いたと言われている。
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第13话 本能寺之变
茶会のため本能寺に立ち寄り、宿泊していた織田信長と森蘭丸。先に寝てしまった信長の寝顔を見つめ、幸せを実感する蘭丸だったが、ふと信長が漏らした寝言が蘭丸の嫉妬心に火をつけ…。史実 / 1582年、明智光秀は謀反を起こし、京都本能寺に滞在中の織田信長を襲撃。信長は寺に火を放ち自害したとされている。戦国最大の下克上と言われているこの事件により、戦国時代は終息し、豊臣秀吉、徳川家康の時代に移っていった。